“実験の失敗”は存在しない。
視座を変えることで見えてくるヒントや可能性。


「好きこそものの上手なれ」ということわざがあります。「一般に芸事や習い事は、好きになると関心が深まり、それに割く時間も長くなり、結果として腕前が上がるものである(岩波ことわざ辞典)」という意味だそうですが、確かに趣味や稽古事に限らず、勉強や研究、仕事においても「好きだ」「楽しい」と思えることは、大きなモチベーション(動機づけ)や原動力になりますね。私が「研究者」という職業を強く意識し始めたのも、実験のおもしろさに開眼してからなのです。

今から思えば、基礎的な実験でしたけれど、自分で考えて取り組み、なんらかの結果を見出すプロセスが、とても楽しかったのです。特に、予想と異なる現象が出現した時には、驚き、不思議に思えたものです。研究過程の常套句として「幾多の失敗を乗り越えて…」というものがありますが、“実験に失敗はない”というのが私の信念です。不首尾に終わった「結果」でも、注意深く観察・分析してみると、次につながるヒントや可能性が隠されています。視点や捉え方によって、物事の姿は大きく変わり得るのだということは、私が幾多の実験を通して学んだことのひとつです。

材料科学を探究する喜びが、研究者のパスポートになったといえますが、博士課程後期を修了してから約1年後、今度は本物のパスポートを携え、ドイツに赴くこととなりました。国際学会でお見掛けしていたハンブルク大学のヴィーゼンダンガー教授(Prof. Dr. R. Weisendanger)に、Eメールで論文を送りコンタクトをとったところ、幸いにも私の研究に興味を持ってくださったようで、滞在研究員として受け入れてもらうことになったのです。

(図/写真1)同じ研究室のスタッフだったマティアス・ボーダー(Prof. Dr. M. Bode)家の裏庭にて。

(図/写真1)同じ研究室のスタッフだったマティアス・ボーダー(Prof. Dr. M. Bode)家の裏庭にて。ハンブルクはベルリンに次ぐドイツ第二の都市ですが、少し郊外に足を延ばせば、豊かな緑が迎えてくれます。開けた場所を見つけると、すぐにドリブルを始めるのもサッカー大国ドイツならでは。写真一番奥に写っているのは、身長190センチの体躯を誇るボーダー先生。下部のブンデスリーガでプレーしたこともあるという異色の経歴の持ち主です。

非常に密度の濃い充実した日々を過ごす中で、日・独の研究スタイルや大学運営の比較など、見聞を広げることもできました。研究トレンド――つまり時代性や社会的需要に影響されることなく、歴史・伝統を有する基礎的研究に手厚い支援を続けている点には感銘を受けました。もちろん一方で、科学技術をスピーディーに社会還元していくための取り組みも盛んです。ドイツはEU随一の工業国でもあり、産官学の連携が密で、研究開発→技術移転→新産業の創出のサイクルで発展を遂げていることが知られています。

大学においては、研究室を運営する教授に大きな権限が与えられていること、そして技術職員の地位が明確で、大きな敬意が払われている点が印象的でした。マイスター制度を掲げ、専門知識や技術の習得・伝承が重視されているお国柄かもしれませんね。
“水が合って”いたのでしょうか、ハンブルクでの公私にわたる環境はとても快適で申し分なく、願わくはそこで研究を続けていたかったのですが、お声が掛かり、日本に戻ることになりました。しかし、異なる文化を体験できたこと、また人的ネットワークが築けたことは私の大きな財産となりました。

さて、今日(こんにち)の私たちの快適で便利、安全な暮らしと、それを具現する高度なICT(情報通信技術)は、「半導体」「磁性材料」という二つのキーマテリアルによって支えられています。携帯電話やスマートフォン、パソコンから家電、自動車や鉄道などの輸送機械、果ては経済社会システムに至るまで、今や半導体と磁性材料を抜きにしては製品としてもシステムとして成立しません。私が研究のターゲットとしているのは、磁性材料への理解と知見を基盤とした「スピントロニクス」の探索。半導体と磁性材料の性質を併せ持った新しい材料研究と、それを工学的に利用・応用するデバイスの開発です。そのチャレンジングな取り組みについて、後編で詳しくお話しいたします。

取材風景
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