国立大学法人東北大学大学院工学研究科 吉住 孝平博士前期課程学生(現 トヨタ株式会社)、好田 誠准教授、新田 淳作教授らの研究グループは、半導体量子井戸の精密な構造設計により、スピン演算素子に必要な永久スピンらせん状態※1と逆永久スピンらせん状態※2間の電界制御に成功しました。これら二種類の永久スピンらせん状態間を電界制御することにより、半導体中の電子スピンの情報を長時間・長距離保持することが可能となり、かつ正確に情報伝達することが可能となります。本技術は、相補型電界効果スピントランジスタ※3やスピン量子情報などの電子スピンを用いたデバイスの実現に大きく貢献すると考えられます。
この成果は、2016年3月28日に米国科学誌「Applied Physics Letters」でオンライン公開されました。
なお、本研究の一部は、独立行政法人 日本学術振興会 科学研究費助成金の助成を受けて行われました。
1.研究の背景
電子は「電荷」と「スピン」の2つの性質を持っています。現在用いられている電子デバイスは、「電荷」を電気的に制御することにより動作しています。一方で、「スピン」は、微小磁石とみなすことができ、その向きを制御することで省電力・高速演算可能なデバイスが実現できると予想され世界中で活発な研究が展開されています。スピン演算素子の実現には、スピンの向きを長距離・長時間保持し、かつその向きを正確に制御する技術の確立が必要です。
電子スピンはこれまで主に磁界により制御されてきました。スピン軌道相互作用※4は電界を磁界に変換する相対論的な効果です。このスピン軌道相互作用が作る有効な磁界によってスピンの向きを自在に電界制御することができれば、磁界制御に比べて省電力・高速化が可能となります。一方、スピン軌道相互作用の作る有効な磁界は電子スピンの運動方向に依存するため、電子が散乱されると有効磁界の向きも変化し電子スピンの向きがバラバラとなりスピン緩和が生じます。このスピン緩和を抑制し長距離・長時間スピンの向きを保持することとスピンの電界操作を両立することが難しく、スピンを用いたデバイスの実現に大きな問題となっていました。
この問題を解決するため「永久スピンらせん状態」をつくることが理論的に提案され、これまで東北大学をはじめとして世界で幾つかの研究チームがその実現に成功していました。しかしながら「永久スピンらせん状態」のみではスピンが定常状態となるためスピン電界操作機能を持たせることは困難でした。
2.研究の成果
今回、東北大学の研究チームは、スピン電界制御に最適化した半導体量子井戸構造からゲート付きホール素子構造を作製し、量子干渉効果※5を用いてスピン緩和がゲート電圧によって変調する様子を磁気伝導特性より精密に測定しました(図1)。その結果、スピン緩和時間が発散的な挙動を示す異なる2つのゲート電圧があることを観測しました。理論解析によりこの2つのゲート電圧では「永久スピンらせん状態」と「逆永久スピンらせん状態」が実現されていることが確認できました。この結果は、スピン緩和の抑制された「永久スピンらせん状態」と「逆永久スピンらせん状態」間を電界操作した世界で初めてとなる実験です。このスピン緩和の抑制された2つのスピン状態を電界制御することにより相補型電界効果スピントランジスタ(図2)や、電界操作によるスピン演算素子を実現することが可能となります。
(図1)量子干渉効果を用いた磁気伝導測定の結果(左図)と各測定におけるスピン状態の模式図
(図2)相補型電界効果スピントランジスタの模式図
【発表論文の詳細】
K. Yoshizumi, A. Sasaki, M. Kohda, and J. Nitta
“Gate-controlled switching between persistent and inverse persistent spin helix states”
APPLIED PHYSICS LETTERS 108, 132402 (2016).
doi: 10.1063/1.4944931
【用語解説】
※1「永久スピンらせん状態」
「永久スピンらせん状態」は、半導体量子井戸で、ラシュバスピン軌道相互作用の強さ(α)とドレッセルハウススピン軌道相互作用の強さ(β)が等しくなったとき(α= β)に実現され、スピン軌道相互作用の作る有効磁界の方向が電子の運動方向によらず一定方向となる。このため、電子の散乱に対してもスピンの歳差運動は影響を受けずスピン緩和の抑制された状態となる。具体的には、[1-10]方向にはスピンのコヒーレントな回転が持続し、垂直な[110]方向にはスピンの向きが回転せず伝搬するスピン緩和が抑制された状態となる。
※2「逆永久スピンらせん状態」
「逆永久スピンらせん状態」は、ラシュバスピン軌道相互作用の強さの符号が反転し、ドレッセルハウススピン軌道相互作用と等しくなったとき(-α=β)にできる状態。この「逆永久スピンらせん状態」は有効磁界の向きが「永久スピンらせん状態」の時に比べ90度変化しスピン歳差運動状態からスピン歳差運動しない状態に変化する。具体的には、[1-10]方向にはスピンの向きが回転せず伝搬し、垂直な[110]方向にはスピンのコヒーレントな回転が持続された状態となる。
※3「相補型電界効果スピントランジスタ」
「相補型電界効果スピントランジスタ」はスピンを用いた論理反転回路に対応し、2012年東北大学の研究チームにより提案された。論理反転回路は論理回路の基本要素であり、通常は電子と正孔チャネルを持つ2つの電界効果トランジスタを組み合わせて構成される。相補型電界効果スピントランジスタは、電子と正孔の2つのキャリアの代わりに上向き下向きスピンを用いるのが特徴であり、永久スピンらせん状態(α=β)と逆スピンらせん状態(-α=β)を電界制御することにより動作する。
※4「スピン軌道相互作用」
電子が電界中を運動することにより磁界を感じる相対論的効果。このため電界によりスピン操作が可能となる。
ラシュバスピン軌道相互作用(α)は半導体量子井戸の内部電界に起因するためゲート電圧により変調可能であることが東北大学のチームによって確立されていた。ドレッセルハウススピン軌道相互作用(β)は化合物半導体の2つの異なった原子間の電界に起因するスピン軌道相互作用であり半導体材料に固有の値となる。
※5「量子干渉効果」
量子力学によると電子は粒子でありかつ波の性質をもつ。このため伝導体中で散乱を受けながら自己干渉し伝導に寄与しなくなる定在波状態(局在状態)を形成する。この電子の局在状態は磁場により電子の位相が変化すると量子干渉が破れ電気伝導度が増加する。この磁気伝導度はスピン緩和により強く依存する。