知能デバイス材料学専攻 柳 淀春 博士後期課程学生、好田 誠 准教授、新田 淳作 教授らの研究グループは、スピン軌道相互作用※1の強い金属プラチナ(Pt)の単結晶薄膜を作製し、量子干渉効果※2の膜厚依存性を詳細に解析することによりスピン伝導機構の解明に成功しました。
従来、金属薄膜中で電子スピンは不純物等による散乱によりスピン反転が生じるスピン緩和伝導機構が支配していると考えられてきました。今回東北大学の研究グループは、単結晶のプラチナ薄膜では、スピン緩和時間と電子の散乱時間が逆比例の関係にあることを発見し、電子スピンは歳差運動をしながら伝導している事を明らかにしました。この結果は、単結晶プラチナ薄膜では界面電界に起因したスピン軌道相互作用による有効磁場が電子スピンに働いていることを示しており、電界によるスピン歳差運動の制御が可能になる事が期待されます。また、スピン流によるトルクを用いた磁性体の磁化反転技術、スピンゼーベック効果※3等スピントロニクスに新たな知見と設計指針を提供するものと期待されます。
この成果は、2016年6月22日に米国科学誌「Physical Review Letters」でオンライン公開されました。なお、本研究は、独立行政法人 日本学術振興会 科学研究費助成事業の助成を受けて行われました。
研究の背景
プラチナはスピン軌道相互作用が強いことからスピン軌道トルク※4やスピンゼーベック効果の起電力を生み出す有望な材料として注目されています。スピン軌道相互作用は電荷の流れ(電流)と垂直方向にスピン角運動量の流れであるスピン流を生み出すとともに、スピン流から電荷の蓄積(起電力)を生み出すスピンホール効果※5の起源となるためスピントロニクスにおいて重要な役割を果たしています。最近、このスピン流を用いて磁性体の磁化方向を反転させるスピン軌道トルクが新たな磁化反転技術として着目されています。
しかしながら、スピンホール効果の強さを示す指標としてプラチナのスピンホール角(=スピン流/電荷流;電流とスピン流の変換効率)が測定方法や試料の作り方によって1桁近くばらついていることから、プラチナ中のスピン伝導現象を解明することが求められていました。
研究の成果
今回、東北大学の研究チームは酸化マグネシウム(MgO(111))基板上にプラチナの単結晶極薄膜を作製することに成功し、量子干渉効果※4(磁気コンダクタンス特性)の膜厚依存性をガリウムヒ素(GaAs(001))基板上に作製した多結晶プラチナ薄膜と比較しました(図1)。その結果、プラチナ多結晶薄膜ではスピン緩和時間と電子散乱時間が比例関係にあり、これまで知られているエリオット・ヤフェット(Elliott-Yafet)機構※6(図2)が支配している事を確認しました。一方、プラチナ単結晶薄膜ではスピン緩和時間と電子散乱時間が逆比例の関係に有り、デャコノフ・ペレル(Dyakonov-Pelel)機構※7(図2)が重要な役割を果たしていることを発見しました。この結果は、化合物半導体ヘテロ構造で知られるラッシュバ(Rashba)スピン軌道相互作用がスピン緩和に寄与している事を示唆しており、電界により制御出来る可能性を示すものです(図3)。スピン流の自在な電界制御や電界駆動が可能になると低消費電力スピントロニクスの実現に近づきます。
図1.多結晶プラチナ薄膜と単結晶プラチナ薄膜のスピン緩和時間と電子散乱時間との関係。図中の長さを示す数値はプラチナ薄膜の膜厚に対応する。多結晶プラチナ薄膜では膜厚が比較的厚い領域ではスピン緩和時間と電子散乱時間が比例しエリオット・ヤフェット機構によるスピン緩和が支配的である。一方、単結晶プラチナ薄膜ではスピン緩和時間と電子散乱時間は反比例の関係に有りデャコノフ・ペレル機構※7によるスピン緩和が優勢となる。
図2.エリオット・ヤフェット機構によるスピン緩和とデャコノフ・ペレル機構によるスピン緩和を表す模式図。
図3.単結晶プラチナ薄膜(3 nm)における磁気コンダクタンスのゲート電圧依存性。わずかであるが、磁気コンダクタンスが変化しスピン軌道相互作用が制御されている可能性を示唆する。イオン液体を用いることにより通常のトランジスタ構造に比べて10-100倍強い電界を印加出来る。
発表論文の詳細
タイトル:
Observation of the D’yakonov-Perel’ Spin Relaxation in Single-Crystalline Pt Thin Films
著者名:
Jeongchun Ryu, Makoto Kohda, and Junsaku Nitta
論文名:
PHYSICAL REVIEW LETTERS, 116, 256802 (2016).
doi: 10.1103/PhysRevLett.116.256802
用語解説
※1「スピン軌道相互作用」
電子が電界中を運動することにより磁界を感じる相対論的効果。このため電界によりスピン操作が可能となる。また、電荷の流れと垂直な方向にスピン流を生じるスピンホール効果の原因ともなる。Rashbaスピン軌道相互作用は半導体量子井戸の内部電界に起因するためゲート電圧により変調可能であることが東北大学のチームによって確立されていた。
※2「量子干渉効果」
量子力学によると電子は粒子でありかつ波の性質をもつ。このため伝導体中で散乱を受けながら自己干渉し伝導に寄与しなくなる定在波状態(局在状態)を形成する。この電子の局在状態は磁場により電子の位相が変化すると量子干渉が破れ電気伝導度が増加する。この磁気伝導度はスピン緩和により強く依存する。
※3「スピンゼーベック効果」
磁性体に温度差をつけると温度勾配と平行にスピン流が生じる現象。磁性体中で生じたスピン流をスピン軌道相互作用の強い金属に注入すると逆スピンホール効果により電荷の蓄積を生み出し起電力として取り出すことが出来る。このため磁性体/金属積層構造を作ると熱電変換デバイスとなる。
※4「スピン軌道トルク」
スピン軌道相互作用の強い金属薄膜に電流を流すと薄膜面直方向にスピン流を生じる。金属薄膜上に磁性体薄膜を積層しておくとこのスピン流が磁性体中に注入され、磁化方向を反転させるトルクとして作用する。スピン軌道トルク磁化反転は不揮発性磁気メモリーの重要な要素技術として注目されている。
※5「スピンホール効果」
通常のホール効果と異なり、外部磁場を印加することなく電荷を持った電子の流れ(電流)と垂直な方向に角運動量の流れ(スピン流)を生み出す。スピンホール効果の起源は、スピン軌道相互作用でありスピンと軌道が結合している事に起因する。
※6「エリオット・ヤフェット(Elliott-Yafet)スピン緩和機構」
不純物等散乱ポテンシャルに電子スピンが散乱される際にスピンの向きが反転するスピン緩和機構。スピン緩和時間は電子散乱時間に比例する。単一の金属では主にエリオット・ヤフェット機構によるスピン緩和が支配的となる。
※7 「デャコノフ・ペレル(Dyakonov-Pelel)スピン緩和機構」
化合物半導体や表面など空間反転対称性が破れた系ではスピン軌道相互作用により電子スピンは有効磁場を感じるため歳差運動をしながら伝搬する場合に生じるスピン緩和機構。スピン緩和時間は電子散乱時間と反比例の関係となる。